ケンタッキーフライドチキンの思い出

ファミレスと言えば、すかいらーくと同時期に博多のロイヤルホストというチェーンがあります。創業者の江頭匡一氏は城山三郎『外食王の飢え』のモデルとして描かれています。飲食店という概念から企業・産業にしようと努力した人物です。私の卒論でも取り上げました。当時はファミレスと言えばちょと贅沢な感じがしたものです。それからバブルを経て、飽食の時代を迎え、ファミレスの地盤沈下(価値観の消失)が始まりました。そして私は卒業後、地元の外食企業へ就職したのです。その会社はFCとして、あさくま、ロッテリアケンタッキーフライドチキンを展開していました。当時はちょうど静岡エリアへの出店攻勢をかける時期で、研修を経て、新しくオープンするKFC沼津リコー通り店へ22才の新人として配属されたのです。