友人父の通夜に参列して

日頃から親しくしている友人のお父様が亡くなられ、昨日通夜式がありました。
お経と焼香の後、お寺さんがこんな話をしてくれました。
「享年の亨は、預かるという意味なのです。人間はオギャーと生まれる前に母体内で
約1年弱命があります。オギャーと生まれてからの満年齢にその一年を足したのが
命のふるさとから、我々が預かっている寿命なのです」
命は自分だけの物ではなく、預かっている命ということが大事ではないでしょうか。


喪主である友人の挨拶もとても良かったです。
それは故人の人となりを偲ぶことができたからです。
私自身は面識がなかったお父様です。
喪主挨拶より引用。
「父は心配りの人でした。病名を本人に告知しなかったけど、本人も
きっと病名はわかっていました、しかし告知しなかった家族に心配かけまいと
家族に病名について問い合わせはしませんでした」
「臨終の際にも、脈拍、血圧が下がり、慌てて親族を招集したのですが、
脈拍が50まで下がり、もう駄目かと思ったときに、また60まで持ち直し、
親族の到着を待ったのです。そして親族が揃った30分後に時を待っていたかのように息を引き取りました」
本当に気配りのお父様でしたね。故人の生き様にふれることができた通夜式でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。


南無阿弥陀仏 これは漢字を音に当てたものです。
梵語では「ナマハ・アミタユース」
南無(ナマハ)これは、「帰依する」という意味です。帰命とも表現します。
阿弥陀仏(アミタユース)は、無量寿、無量光。「はかりしれないもの」という意味です。
先ほどの、命のふるさとそのものではないでしょうか。


自殺報道などつらいニュースが多い昨今。
もういちど生きる哲学をみんなが学び直す必要があると思います。
それは宗教の違い、宗派の違いを越えてあるべきなのです。
キリスト教であれ、イスラム教であれ、仏教であれ、
全世界の人々は命のふるさとで根っこが繋がっているのですから。
合掌。