鳥山牛之助

 お盆の最終日ですので、ご先祖様のお話をします。前にも少し書いたと思いますが、鳥山姓は人名辞典によると、上州新田郡が出とあります。三日月村は、あの木枯紋次郎で有名です。新田の名前のとおり新田義貞(源氏)とも関係があります。西尾城の築城は承久3年(1221年)足利義氏によるものです。承久の乱で北条氏が後鳥羽上皇を破ったのがこの年です。当時三河国は関東の武士である源氏が京都への中継地点として重用視していました。足利家は鎌倉幕府御家人であり将軍家一門の流れをくむ武家です。三州鳥山家の祖は、西尾城築城前後に足利氏に従い関東から移り住んだといわれています。西尾城を築城した足利氏は後に吉良家と今川家に別れます。三州吉良家の始まりであり、後の駿府今川家の始まりです。
 さて話は鳥山牛之助に戻ります。13世紀から時代は江戸時代に移ります。徳川家康三河代官という職を作り、鳥山家は4代にわたり代官職を勤めました。その人物が鳥山牛之助です。牛之助という名前は世襲ですので、4人とも同じ名前です。
資料によれば職務として奥三河地方も統括し幕府事業を行っていたようです。
 我家の仏壇には、鳥山牛之助の位牌があります。私の推測では代官を勤めた後、江戸中期、何かの理由で町人となります。その時、現在、伝のある本町一角を与えられました。それが初代鳥山伝兵衛です。その後伝兵衛は西尾藩御用達として、商売を営みます。そして4代目の伝兵衛が文久元年(1861年)に味噌醤油業を始めて現在に至っています。私で9代目となります。ご先祖様に思いをはせ、そして命の繋がりに感謝です。合掌。

余談:岩崎家(大黒屋、6.3)や田中家(西尾病院)も上州と縁があると思います。それはまた後日。


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