丑寅櫓 西尾城

denbei9th2005-07-30

西尾は六万石の城下町。
これは松平氏が藩主になり、福井県の朝日町など飛び地を
加増され、これを合算しての数字です。
ちなみに岡崎が五万石です。
歴史で習ったように譜代大名には禄高は少なく、
幕府のポストは重要職をというシステムを採用していました。
西尾藩主は老中などの要職を務めました。


歴史の概略は以下のとおりです。(西尾市史など引用)
承久の乱(1221)の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏が築城した西条城がはじまりと伝えられます。足利氏は吉良氏と改め、この地を治めます。戦国時代末には牧野成定、酒井正親、田中吉政と城主は代わり、地域も拡大しました。田中氏の時代に地域はさらに拡張されほぼ確定しました。

田中氏の転出に伴い、1601年に本多康俊が西尾二万石の藩主として入りました。その後、藩主は松平氏、本多氏、太田氏、井伊氏、増山氏、土井氏、三浦氏と頻繁に代わりますがいずれも譜代大名でした。1764年に山形から大給松平氏が六万石西尾藩主としてきて以来廃藩まで五代続きました。

写真は再建された丑寅櫓です。17.07.29撮影

ちなみに鳥山家も足利関係の新田家との関係があり、
上州新田郡より、こちらに移り住んだと聞いています。